私は子供を産んだら当然「無償の愛」をささげるつもりだったんですよね。
でも、実際に生まれてみれば
全然思ったようにお世話もさせてくれず泣いてばっかりの生き物に戸惑い、
言葉を話すようになったら本気でムカついて「無償の愛」とは程遠い育児をしていました。
すごく自己嫌悪するんですけどね。どうにもとめられない。
何でこんなにもムカついてしまうんだろ?私おかしいんだろうな。って
自己否定の嵐でしたねーーーーー思い出しても辛い💧
結局、思うように愛されなかった私は、「無償の愛」を、「自分が」求めてたんです!
これ結構恐ろしい💧
足りない大人が子供を産む。
でも産んでしまったからには愛すほかない!
でもこれが本当に難しい!!
やったことないこと感じたことないことをどうやってやればいいの??
本当に「お母さん学校」があればいいのに!!と思ってました。
(最近は何かしらあるのかな?)
手探りで自分も成長しながら子供を育てるっていうと美談だけど
そんな生っちょろくなかった…。
でも、
おかげで子供も私も今も生きてるし、なんならお互いに成長した。
子供を通してじゃないと気づかなかったことは確かにある。
子育てしなかったら私は自分の怒る姿を見たことなかったし
そうした本音に気づかないままだったんだろうなー。
私は人に合わせられる人だと思っていたんだけど、
スーパー自分が一番じゃないと嫌!な人だったり
子供に優しいほうだと思ってたけど
自分の気の向いたときに可愛がれる範囲で、だったり。
かなり自分勝手な人間だったことに気づいた。
でも、そういうわがままな自分が出てきたことを今でこそ
「おかえり自分!」と愛でたくもなるのが不思議でもあり…
ずっと子供のようにわがままに自分全開に行きたがっていたんだろうな。私の魂も。
自分のことを「私って最低」とか否定してると何にもならないけど
「私はこう思っていたんだ」と認めると人生が好転していったのもまた面白い。
主体性を取り戻した感じかな。
きっと、それまでは親の目を気にして、学校の先生や友達の目を気にして、会社の人の目をきにして。
誰かによくみられる自分を一生懸命演じていたようなものかも。
かくして子供を産んで人生がスタートしたようなもの。
ここから私の人生は明るくなっていったよ!!
なんたって「無償の愛」をくれる子供がいたから…