それは「正解」から脱するということだと思う。
無意識に求めている正解。
でも、実は正解なんて無くって
自分が納得する答えを見つけるだけだったりする。
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この「自分が納得する答え」というのが
自分を中心に考えてこなかった人には難しい。
当たり前に「誰か」を納得させるために
今まで答えを出してきたから。。
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まず、自分が答えを出すことに責任を持つ練習をしていこう。
私たちは知らず知らず、本当に多くの問題から責任逃れをしている。
例えば、自分では人に「優しくしているつもり」でも
「承認欲求」だったり、「支配欲」であったりすることもある。
支配欲とはコントロール欲とも言えるかもしれない。
本当は社会的に認められたい欲求が叶えられていない時に、
違う場でそれを叶えようとすることがある。
本当は「社会で活躍したい」のに、できていないから、
「優しく活躍してる風」な場をプライベートで創り出す。
純粋な優しさではなく「ご褒美」を求めてる。
自分の人生で味わいたいことがあるのに、そこに責任を持てていない。
自分が本当に味わいたいことに目をつむり、ほかの「何か」で満たそうとするのは
自分の答えに責任を持つ、とは逆方向ではないだろうか?
自分の行動に責任ある時というのは
こういった「ご褒美」を求めていない。
相手がどうであろうと
「私がしたいからする」
純粋にこれだけなのだ。
だから、相手が自分の思っていたような反応をしてくれなかったとしても、
それ以上でも以下でもなく「単なるそういう結果」として受け止める。
自分の内なる期待に気づき、つど振り返ってみる。
隠された自分の思惑に気づいてしまうこともあるだろうし、
自分を直視する覚悟を決めた人なら、どれだけ表面で物事を見ていたのか、
その時わかるのではないだろうか。
でも、自分の責任に気づけば後は簡単だ。
「自分の責任で自分が納得する答え」を考えるだけなのだから。
「誰かの答え」を考えたってうまくいくわけがないのだ。
だから難しく感じてしまうだけ。
結局のところ、ルールと枠なんて「誰かの目」なのだ。
「普通ならこうする」
「嫌われないため」
誰かの期待を満たすだけのものだ。
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だから、あなたの中に新しい概念を作ってしまえばいい。
「自分が大事にしている以外の誰かに嫌われたって構わない」
「自分を貫くことこそ悔いのない我が人生だ」
こんな具合に。
自分の責任で話し、行動し、選び取った人生は、
あなたを心から幸せにしてくれるはず🌹
